ストーリーのあるインテリアで暮らしを豊かに

プロフィール

 

はじめまして。山口晃子と申します。
自己紹介ページに来ていただいて、ありがとうございます!

私は6年間の専業主婦を経て、「自分らしく働く」をスタートしたところです。

いやいや、晴れ晴れしく「スタートした」なんて言っていますが、ここに至るまでには、いろんな、本当にいろんなことがありました。

そんな経験や、今までしてきたお仕事のスキルが、あなたのお役に立てばいいなと思っています。

最初の一歩がなかなか踏み出せない方も、一歩を踏み出したけれど、いろんな問題が次から次へと起こってあっぷあっぷしている方も、一緒にこれからの人生をもっと楽しみませんか!

私のストーリー、ここから語りますよ〜。

華やか(そうな)仕事を渡り歩いて・・

京都の大学を卒業後、旅行会社に就職。

大学は英米語科、在学中に1ヶ月留学したこともあって、英語を使う仕事がしたいなと思っていました。

本当は空の上を飛ぶ仕事をしたかったのですが、「就職超氷河期」のため、当時は採用試験すらなく。

そこで、「旅行に行けそうだから、旅行会社に!」と深く考えもせず入社しました。

当時はまだインターネットが普及し始めようとしていた頃で、旅行に行く人は店頭で相談したり、パンフレットを見て申し込むというのが普通でした。

今では、旅行に行きたいと思ったら、まずはネットで調べて、ネットで申し込みますよね。

そう、そんな時代が来ると、全く詳しくない私ですら、感じるほどの勢いで、インターネットが広がりはじめ、不安が膨らむばかり。

「いずれ、旅行は店頭で買うものではなくなって、インターネットで買う時代が来る。そうなれば、私の仕事(店頭でお申し込みの受付)はなくなってしまうんじゃないか・・」

4年目で海外旅行のリーダーを任されていましたが、自分でなくてもこの仕事はまわっていくと感じていたこともあり、思い切って退職。

今度はもっと自分にしかできない仕事を!手に職だ!と、インテリアの仕事を目指すことにしました。

きっかけは、旅行会社時代に訪れた、海外のホテルやお店、街並みに心を奪われたから。

それぞれのホテル(日本の旅館も)がお客様をもてなすためにしつらえた空間が、凛として、そこにストーリーを感じたのです。

インテリアの前に建築を知らなければ!

インテリアの道に進むためにはどうすればいいのか?
まずはインテリアコーディネーターの資格を取ろうと思いました。

はじめはインテリア学校の有名なところに行くつもりでした。

でも、よくよく考えると、空間づくりの前に、建物(建築)を知っていたほうが、よりよい仕事ができるのでは?と建築設計の専門学校に入学することに。

4年間働いて貯めたお金で、学費を払い、夜間クラスに2年間通いました。

当時でもめずらしい、手書きで図面を書くことを教えてもらえる学校で、本当に図面ばっかり書いていました。

フリーで絵を書くのは苦手ですが、図面は線の強弱や文字入れの丁寧さで美しく見せることができ、周りに褒められて書くのが好きになり、文化祭や進級時には賞までもらいました。

ま、今どき図面を手で書くことなんてない(今やCADが100%ですよね)ですが、構造や材料を知らないと線一本すら書けないので、基本を知る貴重な経験ができました。

在学中にインテリアコーディネーターの資格も取れたので、いよいよ就職活動!

インテリア好きな方も、そうでない方も、一度は足を運んだことのある、有名ショップに応募することに。

インテリアが好き!インテリアの仕事がしたい!だけではダメ

書類選考→一次面接→二次面接と順調に進んで、最後は役員面接だったかな?
最後の段階で、契約社員としての待遇が明らかに・・(遅いよね)

震えました。
お給料(時給)が安すぎて!

実家から出たことのなかった私。
衣食住、お給料だけではやっていけない・・という事実に、かなりショックを受けました。

お金の計算ばかりしながら帰宅すると、すぐに電話がありました。
「採用です」と。(倍率300倍って、おい!)

それはそれは憧れていた会社だし、スタイルブックは隅から隅まで読んで、いつかはスタイリングにも関われるようになりたい!なんて思っていましたが、現実は厳しいものです。

契約社員からがんばれば正社員になれるよ、と聞かされても、いつかわからないそんな先のこと、夢見るほど子供でもなかった。

本当に成し遂げたいことのためなら、苦労は買ってでもするべき?
毎日100円バーガーを食べ続けることになっても、インテリアの仕事ができるなら苦にならない?

んなこと、あるわけない!!

いくら働いても、日々の生活費でお給料が消えてしまうような環境で、「豊かな暮らしを提案」なんてできるわけない。

いくら働いても、その素敵な家具を自分の手にする日なんて、遠い未来すぎて想像できない。

そんな人生、まっぴらごめん!!

結局、悩みに悩んだ末に、辞退しました。
人気がある仕事だからって、足元見すぎですよね!

その後、もう1社受けて、採用されましたが・・・
こちらはワンマン社長+風水奥さんのちょっと変な空気のところでした。

直感で、やばいところに来てしまったと思いました。

朝礼は軍隊みたいだし、裏のゴミ捨て場は絶対にきれいに掃除しないと、よくないことが起こるから・・とか言われて。

社長は自信満々で「東京のコンサルつけてるから」とか言うけれど、社員がみんな死んだ魚のような目で働いていて、異様でした。

研修期間が終わる時、辞めさせて下さいと言いに行くと、社長に「君いくつや?」と言われました。

今ならわかりますよ。
研修だけで逃げられちゃ、たまったものじゃない!って。

でも、変だった。生気が吸い取られてるみたいな感じで怖かったんです。

インテリアから一旦離れることに

現実を知ったというか、華やかなイメージを好き勝手に膨らませてしまった代償というか、インテリア業界への熱がすっかり冷めてしまいました。

一旦離れよう。

そこで、県立医科大学の秘書に応募しました。

9〜17時で残業なし!というところ以外、特に興味がある仕事ではなかったけれど、心が疲れていたので、ゆっくりできそうなところが魅力的でした。

こちらも1人の採用枠に100名以上の応募があったようです。
人前で話すのは苦手なのに、面接だけはなんだかイケてる私!

接客業の経験も無駄ではなかったと思えました。

同僚の秘書さんが私をイチオシしてくれたそうで、後々なぜか聞いてみたら・・

「建築士の試験勉強をしたいので、定時で帰れるところが魅力的です!」と言い切ったところが良かったと。

まだこれから何かを頑張ろうとしている、その姿勢が彼女の考えともリンクして、即決だったそうです。

面接って、うわべだけ良いこと言っても受からないですよね〜。

え?そんなこと言っちゃったの?と驚かれるような本音を話す方が、断然印象に残るんでしょうかね。

ということで、めでたく秘書になった私は、勉強時間も確保し、二級建築士に合格しました。

秘書としては、4年働きました。

4年のうち3年くらいは、ずっと、「ここでぬるま湯に浸かってたらダメだよね〜。もう一回チャレンジしたいよね!」と同僚と話してました。

20代前半ぶっ飛ばしたので、後半はゆっくり。でも30を目の前に、これじゃいかん!もういっちょチャレンジだ!と退職。

もう一回インテリアの仕事に!

せっかく学んだ建築やインテリア。
活かさないままではもったいない!

と、秘書を辞めて、インテリア業界に再チャレンジです。

4年前の苦い経験から、インテリアと言っても家具を売る人になりたいわけじゃなく、空間づくりをしたいんだ!と確信していたので、求人も業務内容をしっかり確認しました。

A社は北欧ブランドのインテリアショップで販売からスタート。後にマンションのコーディネートに進めるらしい。

B社は輸入住宅のインテリアコーディネーターとして、新築住宅の外装材の色選びから照明・カーテン・家具・クロスなどの内装提案までする。

どちらも採用していただきましたが、B社にお世話になることにしました。

A社はブランド力があって、人気がある(またもやすごい倍率でした)けれど、やっぱり店頭での販売からスタートというところが気になって・・

4年前、地獄を見ているので、人気があるなしに惑わされない堅実さだけは、身につけたようです。

晴れてインテリアコーディネーターとして、30代をスタートしました!

インテリアコーディネーターとして

いくら2年間学校に通って勉強して、資格を持っていても、現場ですぐに活躍できるわけではありません。

流れを1から覚えて、先輩のトークを盗み、磨きをかけていく。

上手く説明できなかったり、質問されて答えられなかったことは、次に繋げられるように必死で調べたり、聞いたりしました。

初めて一人でお客様を担当することになった時には、緊張で変な汗でいっぱいでしたが、お客様と好きな生地作家さんが同じだというきっかけで、お話も楽しくできました。

秘書の時、お友達の赤ちゃんにスタイやお洋服を作ってプレゼントしていた、そんなことも無駄じゃなかったんです。

はじめの頃は、初回の打ち合わせ時間内で、お客様の潜在的な要望まで引き出すことができず・・・

しかし、経験を重ねるうち、「はじめまして」の瞬間で、お洋服のテイストや持ち物からある程度、好みのテイストが想像できるようになり、的を絞った提案ができるようになりました。

2年目からは、社内での業務改善提案もしました。

今までは建築前に外装+内装の提案をして、その後はほぼお客様と接することなく、引き渡しという流れでした。

それではコーディネーターとして、提案したものが良かったかどうかの振り返りもできません。

食器棚の扉を開けたら、照明器具に当たって開かない・・なんてミスが起こっても、コーディネーター内で共有する機会もあまりなかったのです。

良かったことも、失敗だったことも、共有して、より満足度の高い提案をスムーズに進めることができるようになったらいいのに・・と、コーディネーターが建築中の現場を見に行ったり、竣工検査に立ち会えるように変えました。

そして、今までコーディネーター個人が保有していた、現場の写真を集め、施工例集にまとめたところ、3冊にもなり、この施工例集をお見せするだけで、打ち合わせがとてもスムーズに進められるように。

なにより、今まで満足度が平均的だったお客さまアンケートの評価が、ぐんぐんアップしました。

やはり、インテリアコーディネートの提案だけではなく、家づくり全体に関わっているという意識が芽生えたことが一番。

また、お客様との関係が打ち合わせだけでプツリと切れてしまうのではなく、家が出来上がるまで繋がる関係になったことで、信頼感から満足度アップに繋がったと思います。

そんなこんなで、6年インテリアコーディネーターとして、200邸以上のお客様を担当させていただきました。

人生で一番高い買い物と言われる、住宅建築に関わることができて、とても充実していました。

仕事と出産どっち?どっちかしかないの?

もともと京都で知り合った主人とは、2年目で遠距離になりました。
主人が東京へ転勤になったからです。

結婚するんだろうな〜とぼんやり思っていましたが、東京っていうだけで敵対心がわいてしまうという、よくある関西人の思考回路のせいで、行きたくない!と思っていました。

でも、そろそろ歳も歳だしな〜、と思っていた時にプロポーズされ、腹をくくりました。

仕事は・・東京にも事務所があるし、転勤させてもらえるかな・・と上司に相談したところ、

東京に転勤させることはできる。
が、転勤後1年間は子供をつくらないという約束が条件

はい、きたー。ブラックかよ!

そんな約束、わかりました!と即答できる年齢じゃないって。
すぐ妊娠できたとしても、高齢出産なのに、この上1年保留しろと?

これは、もう、辞めろってことですよね。

女性に優しくない会社だとはわかっていましたが、ここまでか!と呆れてしまいました。

もちろん、退職しました。(相手の思うツボで腹立つけど)

横浜へ 人との繋がりのありがたさ

結婚後は横浜に住むことにしました。
友達はほぼゼロ。

最初はその日、話をしたのが主人だけという毎日。

おまけに、例の関西人の思考回路で、関東の人は関西人をバカにしている!と思い込んでいたため、外で話しかけられるのが怖くて。

関西弁がバレたら、「あ〜関西なんですね〜」(上から)みたいな感じになると怯えてました。

アホですね。

そんな私は、突然専業主婦になって、何をしたらいいのかいいのかわからなくなりました。
たまたま失業給付を受けにハローワークに行った時に見つけた、職業訓練を受けてみることに。

「提案型営業力訓練科」という講座。
3ヶ月間、みっちり10-17時まで勉強しました。


ここで、初めて関東の人と接することになるのですが、怖くて関西弁を封印してました。

でも、今思えば、横浜も関西人だらけだし、お笑い芸人で関西弁に慣れているから、「この人関西弁しゃべってる!」みたいな感じは、ないですよね〜。

思い込みって怖い。

さて、ここでの経験が後々役に立ってきます。
当時はとりあえず・・って感じでしたが、マーケティングやプレゼンについて、いろいろ教わりました。

無事3ヶ月終了後、しばらくたってから、講座を請け負っていたコンサルの先生から連絡があり、「横浜ビジネスグランプリ」の手伝いをして欲しいと言われました。

会場下見から、応募者さんへの連絡、最終審査の受付から当日のオペレーションなど、いろいろ関わらせていただき、勉強になりました。

なにより、応募者の方々の事業への想い、熱意に圧倒され、刺激をたくさん受けました。

漠然と、私もなにかがんばらなきゃ!という気持ちに。

はじめて個人として仕事をすることに

その後、お世話になったコンサルティング会社が人員を増やすため、3倍ほどの広さのオフィスに移転することになりました。

そのオフィスプランニングをお願いしたい、とこれまたありがたいお話。
これまで個人で仕事をしたことがなかったので、これがデビューですね。

何もないスペースから、家具の配置計画、人と物の動線計画など、一からさせていただき、会社の格が上がったような仕上がりに満足していただけました。

これも、横浜ビジネスグランプリのお手伝いをする中で、スタッフのみなさんから信頼してもらえていたからこそ、いただけたチャンスです。

人は見ていないようで、ちゃんと見てくれているんですね。

出産→育児のなかで

その後、出産して、育児がはじまりました。

初めてのことだらけで、心配だらけ、不安だらけの日々。
なんとかこの子を大きくしてやらなくては!という使命感にかられ必死でした。

息子が2歳を迎えた頃から、少し自分について考えるようになり、幼稚園に入園したら働こうと求人を調べていました。

ない。全然ない。
思うような仕事が見つかりません。

  • 休日は家族の時間を持ちたいから、土日は休みたい
  • 9〜16時くらいの勤務時間
  • インテリアかリノベーションの仕事

仕事も子育ても・家事も、バランスよくがんばりたい、というのは欲張りでわがままなのかな?と思うように。

そんな考えを大きく変えるきっかけがありました。

できないと決めなくてもいい

区が開催している講座のタイトルがふと目に飛び込んできました。

私らしく♪暮らす・働く

講座の時間中、息子を預かってもらえるということもあり、早速参加してみることに。
すでに自分のスキルと想いを活かしたお仕事をされている先輩が、今まで苦労したことなど包み隠さずお話してくださいました。

その方は、お子さんが2人いらっしゃって、当日はまだ小さい下の子を連れて(うちの息子と一緒に預かり保育)来られていました。

個人でお仕事されているのですが、なんと2人のお子さんを連れて遠方まで新幹線で講演に行ったりされていると聞いて、びっくりしました。

子供が小さい=近所で、短時間しか働けない
と思っていた私には、雷が落ちたくらいの衝撃でした。

小さいお子さんがいても、あらかじめ相手に状況を伝え、理解してもらえると、託児を用意するのでぜひ来てくださいと言ってもらえるんですって。

もちろん、託児を用意してでも、来てもらいたいと思ってもらえるような素敵な方だからこそだと思いますが、それにしてもすばらしい〜。

本当に勉強熱心で、いろいろ苦労もされていらっしゃるのに、全部笑い飛ばしてしまうくらいパワーにあふれて人間味があって、心の中で「師匠〜!」と叫びましたよ。

子供がいることをハンディとしない姿、子供なんてすぐ大きくなるんだから!と明るく話す姿に、勇気をたくさんもらいました。

やらなかったことを後悔するより、やったことを後悔するほうがいい

本当にそうだなと、一歩前に進んでみようと思い、迷っていた片付けの資格を取ることに決めました。

インテリアと収納

インテリアコーディネーター時代に気になっていたこと。
せっかく素敵なインテリアのおうちができても、床にモノが置かれていたり、服がそこかしこに置かれていたり・・

収納が上手くいかないと、お部屋の魅力も台無しだな・・と感じていました。

同時に自分が子育てする中で、増え続ける一方のモノに悩まされていたので、同じように悩んでいる方のためにも、勉強してみたいと思いました。

そこで、「ライフオーガナイズ」を知ります。

思考と空間の整理。
価値観をはっきりさせることで、リバウンドしない片付けができる!

ただきれいに片付けるだけではなく、それが自分のストレスを軽減して家事の時短に繋げられるなんて、一石二鳥ですよね。

片付けも、断捨離からときめきまでいろいろありますが、いちばん刺さったのがライフオーガナイズでした。

そして、資格を取得しました。

これから

個人で仕事をするのって、会社員時代には感じなかったいろいろな壁があります。

会社では分業が基本ですよね。
経理は経理の方、営業は営業の方、広報は広報の方、経営は経営者。

これを全部ひとりでこなさなくてはいけません。
しかも、経営者・妻・母・娘とひとりで何役も。

でも、それも楽しめばいいのかなと思っています。
子供が4歳なのは今だけだけど、私の人生の「今」も今だけだから・・

将来、子供に「あなたがいたから、お母さんはやりたいことができなかったのよ」なんて絶対言いたくない。
だって、もし自分が母にそう言われたら、「私はお母さんにとって邪魔者だったんだ。私がいなかったらお母さんは幸せだったんだ」って思うだろうから。

だから、自分のやりたいことを我慢せずに、やろうと思います。

そして、私の想いは、

仕事も子育ても・家事も、バランスよくがんばりたい!
そんなあなたの限られた時間を無駄にすることなく、

  • 集客力アップに
  • ブランディングに
  • ストレスフリーな毎日に
  • 家事の時短ができるおうちに

インテリアと収納とデザインのサポートで、夢を実現するお手伝いをしたいと思います!

 

お気軽にご相談くださいね

 

 

Copyright© STORY+DESIGN , 2024 All Rights Reserved.